めでたい

今日は祖母の誕生日でした。

 

電話をかけ、「おめでとう」と伝えました。

 

今も元気で、応援してくれているのが本当にありがたいです。

 

次に会うのは、教採のために帰省する時です。

 

結果を出せるようにベストを尽くして、胸を張って会いたいところです。

 

受験後には、「やりきった」という気持ちで祖母が作る最高の卵焼きを食べられますように☺️

 

 

おし!

ゼミ室にて

 

「いや〜、正直勉強するのキツイって」

 

「やりたくね〜」

 

「眠て〜」

 

数分後

 

「はい!俺は今日指導案2枚仕上げます!」

 

「じゃあ、俺は〇〇の課題を仕上げます!」

 

「とりあえず私は指導案に一時間集中します!」

 

というようにやり始めました。

 

「受験は団体戦」を体現しています😊

 

 

 

生意気

「教員は子どものためにあれもこれもしないといけない」

 

 

 

客観的になればなるほど上記の考えって本当に多くの人に根付いているモノなんだなと思います。

 

 

 

「あれもこれもしないといけない」と信じている人が「健全な集団さえ作ればうまくやる」と言われたら、そりゃ「そんなわけないでしょ」と言いたくなります。

 

 

 

信じているものを否定された時、人間は気分が悪いものです。そして、多くの人はいい方法があったって新しく学びたいとは思わない。過去の自分を否定するのはきっととても辛い。

 

 

 

この固まった考えを緩めるには、

 

 

 

「それについて本気で学びたい!」と思うか

 

「誰一人取り残さない教育と社会の実現」にロマンを感じるか

 

「なんかいい感じだ」と思い

 

 

 

その考えを持った集団に属してみるしかないのかもしれません。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

現場に出たことがないからこそ、純粋に信じられる部分があると思います。

 

 

 

そして、現場の厳しさは現場に出ないとわからないだろうし、そこで学ぶしかないとも思います。

今はまだ

久しぶりにゼミの師の授業を見ました。

 

2年前、授業を受けていた時は気づきませんでしたが、ゼミの師が言っていることは理にかなっているけど、かなり「え?!どゆこと!?なんでそうなるん?」となるものらしいのです。

 

というのも、ゼミの師が話している時にポカーンとなっている人がかなりいました。

 

当時の私は、「そうなんだ。めちゃくちゃ興味深い!しかも、すごいロマンあるやん!」

 

と思い今のゼミに決めたのですが、やはり私たちはまだ少数派のようです。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

悲しいけど、教師一人が全員に分かるようにするのは無理。分からない人は必ずいます。これはゼミの師の授業だろうが、万人受けするような話がうまい先生の授業だろうが同じでしょう。でも、同時にそれぞれの授業には分かる人も必ずいます。

 

結局のところ、教師がやるべきは全員に直接理解させることではなく、子どもたちをつなげて理解に向かう集団をつくること。

 

協力

教採の勉強に関わるプチクイズ大会をやりました。

 

先輩が色んな問題を出してくれたので、自分の理解が深い部分とまだまだ定着していない部分がよく分かります。

 

正直、高校まではこうやって誰かに問題を出してもらってやるのが嫌いでした。

 

間違えるのが恥ずかしいし、間違えると落ち込みの気持ちが大きく残る気がしたからです。

 

でも、今一緒にやってる仲間の前では間違えることがそんなに嫌なことじゃないし、むしろ自分の苦手な部分と向き合おうと思えます。

 

一緒に勉強したいと思える仲間がいることは本当にありがたいことです。

ケーキ

以前のゼミで「パートナーの親御さんとの上手な接し方が分からない」という相談がありました。

 

そこでのゼミの師の言葉が印象に残っています。

 

「大好きなパートナーを生んでくれた、育ててくれた人」と思うことで感謝の気持ちや愛がわく。そうすればそれらは行動に現れて伝わるはず。

 

なるほどと思いました。

 

大好きなパートナーがいるのは、パートナーの家族の支えがあったからです。

 

これを聞いてからパートナーの家族への感謝がより強くなりました。

 

 

 

 

てことは…逆に言うと親御さんから「めちゃくちゃ大切な子どもをめちゃくちゃ大切にしてくれる人」と思われるような人になることが最高の関係を築くために重要ですね。

 

これからも毎日誠実に。