目的

『学び合い』の考えを一旦置いといて

 

教師として、子どもたちを褒める能力。これはないよりはあったほうがいいと思います。

 

学校現場で、違和感を感じることがありました。それは、「子どもたちの自己肯定感を上げるため」ではなく、「言う事を聞きやすくするため」という目的で行われる褒めが多く見られたことです。

 

教師の言う事をすぐに聞いて行動することはそんなに偉いことなのでしょうか?「みんなが同じタイミングで同じことをやる」同時化が重要だった工業化社会なら確かにそれは褒められることかもしれません。

しかし、これからの子どもたちが生きていく社会は違いそうです。つまり、この「言う事を聞きやすくするため」に褒めることは、「子どもたちのため」にやる行動には繋がりませんね。柔らかい印象なだけで、教師側の押し付けみたいなものです。

 

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これからの「子どもたちのために」行動するには、今までの教師のあり方に依存していてはいけないなとまたまた感じました。「今までがこうだったから」という浅い考えだけで子どもたちに接したくはない。

 

「退屈だな〜」と感じながらも、ただ先生の言う事を聞く授業をなんとなく乗り切っていた時がありました。その通りにしていれば、とやかく言われることはなかった、時には先生が褒めてくれたからです。私は鈍感だったから、乗り越えられたのでしょう。でも教師の腹を読む子は、読める子こそ冷めていたのかもしれないと考えます。。

 

今、教員を目指している私は退屈そうに教師の話を聞いている子どもたちを見ていて、全く楽しくありません。子どもたちがイキイキしている授業が見たくて、仕方がない。教育実習で『学び合い』をして、「こういうことか!」とバチッと来た。これは授業レベルでの話になってしまいますが、子どもたちの本来持っている力を引き出せる手段として、『』を知っていることが本当に幸せです。

 

『』を自分のものにするためにまだまだ勉強が必要です。