今日は公開授業をしました。
本来の目的を見失わず、かつ私のしたい授業をさせていただきました。
「全員がプリントの練習問題をすべて理解することができる」という目標にしました。「全員」は惜しくも達成できませんでしたが、伝えるべきことを伝えたことで、子どもたちの中に気付きや学びが生まれていました。授業内で「これこれ!やっぱり子どもたちって本当にすごい!自分たちで出来るんだよ!」と心の中でガッツポーズする場面がありました。自分が実践することで感じるものって心に残るなと思いました。
達成できなかったという結果がでた後で、休み時間に「ちゃんと周りを見れていなかったみんなの責任だよね。」、「次こそは絶対に達成してやる!できるよ!」という声が聞けてうれしかったです。
「一回の授業で子どもたちを劇的に変えることはできない。でも、伝えないよりは伝えたほうがいいに決まっている」という考えのもと、やりました。あと少しでお別れですが、担当のクラスが有機的な集団に向けて、もっともっと成長していってほしいと思いました。
一つだけ、もやもやしていることがあります。実習における本来の目的を達成するために、『学び合い』的に矛盾した発言をしました。これによって教師の腹を読むことに長けている一定数の子どもたちからは見限られたことでしょう。でも、仕方ない。自分に言い聞かせることしかできない。評価を気にして、子どもたちに対して矛盾した発言をした。先生や他の実習生からお褒めの言葉も多くもらえましたが、今ももやもや「本当にあれでよかったのか?」と考えてしまいます。頭の中でぐるぐるぐるぐるって感じです。
授業協議会では、言葉選びや極端な発言に気をつけながら自分の思いを素直に話しました。多くの意見をもらいましたが、子どもたちが目標の達成に向けて全力で考え、交流する授業形態に関して否定的なものはありませんでした。しかし、『学び合い』を知らない人には伝わらない部分があるなと感じました。「ん?なんか子どもたちの人生とか将来とか言い出したぞ」的な。「子どもたちの一生涯の幸せを保証する」という視点をもっている教育実習生はやはり少数派なのでしょう。