以前は教えられる「子ども」と教える「先生」の別々感はかなり強かったです。まるで、別の生物みたいな感覚。
この2年ほどでゼミの現職さんや師との関わり、「先生も普通の人なんだな」という感覚が芽生えました。
普通に学生と馬鹿話するし、真面目に見えてもクレイジーなエピソードとか話してくれるし、遊んでくれるし(ちなみに師は一緒に遊びはしない、まあ馬鹿話はする。とても楽しそうである😆)。
既に先生をやってる先輩方も私にとっては「先生」というよりも「仲の良い先輩」のままだろうし、人は 日頃から色々な自分を使い分けてるように「先生」っていうのも学校にいるときの役のひとつに過ぎないのかなと思ったり。社会の感覚上はなってから辞めるまで24時間365日「教員」だけど。
今、馬鹿話している私も仲間も数ヶ月後には先生として働いていると思うと不思議な気持ちになります。「え?俺たちが?」みたいな。
でも、教員になったらなったで教員としての自分たちが作られていくんだろうな。数週間の教育実習よりも数日の現場経験の方が先生としての自覚が芽生えるって言うし。
教員 も普通の人間だしそれはただの一面として捉えて、なんとなくのイメージや理想の教員像を押し付けるだけではいけないのかもしれない。
本を読んでいて 教員としての生き方を考えるというよりは自分としての生き方を教員としての自分としながら生きていきたいなと思いました。自分の幸せをしっかり見つけ、体現し、子どもたちに見せていくことが子ども達のそれぞれの幸せを見つけるヒントになるだろうし、 教員としての責任だと思いました。