揺れるけど…

 

越後『』の会がきっかけで、フリースクールってどんな場所かこの目で確かめたい!と思い、ゼミの仲間と長野県のフリースクール寺子屋TANQに行ってきました。

 

子どもたちと1日をともにする中で、とにかく楽しいという思いが残りました。彼らがとにかくいきいきしている。そんな姿を見ていると、彼らは「学校に行けない子」ではなく、「学校に行かない子、学校が合わない子」という印象を受けました。

 

1日中勉強するということではなく、必要性を感じたことに関してやりたい時に勉強するというスタイルで彼らは学習していました。他にも外で遊んだり、木を使った工作をしたり、絵を書いたり。子どもたちは大人が「勉強しなさい」なんて言わなくても「やったほうがいいな」と気づけば、勉強することが分かりました。子どもたちの中には「学ぼう」という思いが必ずある。それを大人が無理やりやらせようとしているのが今の教育の現状かなと思ったり。

 

彼らの中には、今の教育のスタイルによって傷ついた子もいます。きっとフリースクールでのいきいきした姿を今の学校でさらせば、先生からは怒られ、その個性を潰されるでしょう。「なに勝手なことをしているの!」「今は静かに座って勉強する時間です!」と。これからの社会はそれぞれが自分なりの幸せを見つけ、活躍できるところで活躍することが求められるのに、今の教育はやはり工業化社会のコードに縛られている。周りに合わせることをいいこととして型にはめられ続け、教育された子どもたちが自分の強みを持って社会に出られるとは私は思いません。

 

今の学校はよくも悪くもなんとなく導いてくれます。その中でただ言われたことをやるのではなく、自分で何かを学習する/しないを選択できることがとても大切であると感じました。今の学校のスタイルが好きな子どもたちももちろんいると思います。でも合わない子もいる。両方が共に学べる施設として学校が変化していくことを願います。例外なく、全ての子どもたちが選択して学べる場に。

 

子どもたちの姿を見て、選択して自由に学べる場所があり、彼らがいきいきしている姿を見られるなら学校の先生なんてならずにフリースクールで働いたほうが俺にとって幸せなのでは?という考えもよぎりました。また、ボランティアなどで学校に行ったら、今の教育のスタイルにはめられ続ける子どもたちの姿に絶望し、目を背けたくなるだろうとも思いました。

しかし、目を背けたくないし、今の自分たちが考えて、もがいていかないといけない部分があることもわかります。学校の先生になることで関わり、救える子どもたちがいると思うのです。

 

去年の今頃は、まさか自分が色んな教育の形を見たいと思い、県外まで足を運ぶなんて考えてもいませんでした。悩み、考え、仲間とこれからの教育や自分たちのことについて議論することも。ゼミの仲間の言葉を借りますが、今こうやって考えられるのも「運と縁」のおかげです。