確信

昨日の『』の会の振り返り

 

何かをしなさいと言われても、その目的がわからないときや必要だと思えない時は実りあるものにはなりません。

 

例えば、管理職から「子どもたちに対して〇〇してください」と指示を出されたときに自分が「確かに!それはいい!」と本気で思えないと子どもたちに「やらされている」のが見透かされると思います。自分の「やらされている」を子どもたちに「やらせる」という最悪の構図の完成です。

 

ぶっちゃけ、こと細かに強いることは表面上うまくいくように見せれても何もその先にいきることはないのではないでしょうか。中身がないっていうか。

 

小学生の頃、先生に「◯曜日の昼休みはクラス全員で遊びましょう」とやりたい遊びが制限された時は全く楽しくなかった。「なんで遊ぶ内容を制限されなあかんねん、楽しくないけどな〜。」って。隠れて図書館にいたら、あとで問い詰められたような💦

 

そんなことを考えずに仲良しメンバーでやりたい遊びをする方がいい思い出になりました。

 

話を戻して、教師自身が確信を持てれば持てるほど2割の子どもたちには伝わりやすくなると思います。ただ、その確信を持つためには学び続け、自分の芯を成長させなくてはいけない。

 

それが生き方で見せるということだと思うから。